次はいっしょに

エネマグラ使用。挿入なし

 苦しい思いをするのはいやだった。
 けれど相棒の、冬弥の苦しむ姿を見るのはもっといやだ。
 
 
 
「……っあ、い゙……っ」
「……彰人、やっぱり抜こう……苦しそうだ……」
 
 そう言って冬弥は半分ほど押しこんだ性器をゆっくりと抜いた。サッカーの試合のあとみたいな疲労感にだらりと体を伸ばしたまま、腰を引く冬弥をぼーっと見つめる。
 熱かったはずのモノはすっかりと萎えてしまっていた。ずるりと出ていく感覚はまるで内臓を引っぱり出されているみたいで肌がぞわぞわと粟立つ。圧迫感から解放されたことに少しだけほっとしながら、ほっとしてしまったことにショックを受けた。
 
「はっ……ぁ、……っ」
 
 オレの体ははっきりと冬弥の侵入を拒んでいた。
 後孔をむりやり拡げられている感覚が意識をむしばんで体が小さく跳ねる。まだ冬弥がナカにいるような奇妙な違和感を拭えずぎゅっと目を瞑ると、息をしてくれ、と冬弥の泣きそうな声が訴えた。
 呼吸ができていないことに今更気づいて、うながされるままにゆっくりと息を吐き出すと、ぼんやりと霞んだ脳に血液が巡り意識がはっきりとしてくる。何度か呼吸を繰りかえし脳が働き出したところで、冬弥の泣きそうに歪んだ顔を捉えてしまい息が詰まった。
 なんでそんな顔をするのか、させている自分が聞くのも変か。
 冬弥を引き寄せたくて腕を動かすも緊張で強ばっているのかうまく動かせない。くっつくことも頭を撫でてやることもできず途方に暮れていると右手が頬を撫でた。緊張をほぐすようなぬくもりに気分がおちつく。伸びかけの手も左手で捉えられ、熱を分け与えるようにやわやわと揉みこまれると、ひんやりと冷えた指先にも血液が巡り熱が戻った。
 思っていたよりもずっと分かりやすく、体が悲鳴を上げていた事実に泣きたくなる。
 これが不安からくるものだと、流石のオレにも分かっていた。認めたくはないが強がる余裕すら生まれてこない。そしてたぶん、直接体を合わせている冬弥なら、そんなオレの状態にも気がついているだろう。そう思うとやるせなさが込みあげてくる。
 優しく丁寧にほぐされて、どうして受けいれられないのか。
 重い腕を伸ばしてヒリヒリと疼く後孔を撫でるオレを気遣わしそうな視線が捉えた。体を重ね始めてから見せるようになった、いや、親と揉めていた頃によく見ていたその顔に内心で舌打ちをする。
 また――失敗だ。
 身を裂くような苦しさから解放されたばかりなのに、冬弥にこの顔をさせているのが自分なのだと思うと、きゅっと胸を絞ったように悲しみが沸く。
 
「彰人、大丈夫か? ……まだ早かったな」
「お、まえの……でかすぎだって……」
「……すまない」
「あ……っわり、お前が謝んなくていい」
 
 やっと繋げられたのにという思いは少なからずあって、だから、せっかく挿れたモノを抜いてしまった冬弥を責めるような口調になってしまった。冬弥の謝罪に言葉をまちがえたと、瞬時に後悔する。
 彼は呻き声すら出せないオレを気遣ってくれているのに。
 まだ疲労の残る体をむりやり起こしてしゅんと肩を落とす冬弥を引き寄せ、切れ長の目を彩る泣き黒子に唇を落とした。思いが通じたのか、冬弥の顔に少しだけ笑顔が戻ってほっと息をつく。
 冬弥のモノが特別にでかいわけではない。決して可愛らしいサイズではないが、非現実的な大きさではなかった。
 それなのに越えられない壁のように途方もなく大きく感じるのは、そもそも受けいれようとしている場所がものを入れる場所ではないからだろう。
 下生えの中で、ゴムを被せたままゆるりと垂れている性器を撫でて冬弥を見上げる。
 
「半分くらいは入ったか?」
「……そう、だな。一番太いところの手前までは……」
「……マジか」
 
 先っぽすら入らなかった初期と比べれば十分進歩だろと鼓舞するつもりが、思わぬ事実に面食らう。半分だと思ったのはどうやら錯覚だったらしい。
 精を受けとめないまま終わってしまったゴムを取りはずしながら、冬弥は強ばった笑みを口元に浮かべた。その顔に向けていい適切な言葉が見つからずあいまいに笑いかえして、前途多難な行為から目を背ける。
 
「……ごめんな」
「それはどういう謝罪だろうか」
 
 冬弥の視線が絡みつく。本音を見抜こうとする探るようなシルバーの瞳は、悲しみと、オレを思う優しさに満ちていた。理由を言わない選択もできたが、優しく絡みつく視線に隠し通せる自信もなく、渋々と重い口を開く。
 
「……こっちやるって言っておいて……受けいれられない、オレのせいだろ」
 
 冬弥は最初から優しかった。元から優しい男ではあるが、セックスのときはオレを羞恥で殺す勢いで真心を尽くしてくれる。自分だってつらいだろうに、ずっとオレを一番に考えてくれていた。
 そんな冬弥を以ってしても先へ進めないのであれば、原因はオレにあるとしか思えない。
 オレの言葉に冬弥は悲しそうに首を横に振った。艶やかな髪がさらさらと揺れる。
 
「彰人は一つも悪くない。慣れていないのだから当然だ……むしろ俺のやり方がまちがっているのかもしれない。すまない……」
「……ありがとな。けどお前も謝んなくていい。慣れてないのはお互い様だろ……冬弥がずっと優しくしてくれてんの、分かってるから」
「そうか……ありがとう。大丈夫だ、少しずつ慣れていけばいい」
「ん……」
 
 いやなやつにはなりたくない。けれど、進歩を感じられないいまの状況を考えると、少しずつってどれくらいだと、聞いてしまいたかった。口をつぐんだのは、冬弥がまだオレとの未来を考えてくれていることが分かったからだ。嬉しさに胸がじーんと熱くなって、思わず涙が出てきそうになった。
 冬弥から与えられるあふれんばかりの優しさに身を焦がしている。
 たまらず、腕を伸ばした。
 もっと近くで冬弥の熱を感じていたい。ふたりの間に生まれた熱が逃げていきそうで僅かな隙間も許せなかった。そんなことすらいやに感じて仕方がない。
 吸いこまれるように体を寄せた冬弥の背に腕を回して視線を交錯させる。まつ毛の触れあう距離まで近づいて、柔らかそうな唇がふにふにと当たっているのに、冬弥は甘い瞳でオレを見つめるだけだった。
 
「……冬弥、キス」
「……ふふ……ああ、ん……」
 
 動く様子のない冬弥に焦れて、短く、キスをせがんだ。
 砂糖みたいに甘い声を出す唇が重なるとほのかにブラックコーヒーの味がする。甘いのに苦い。そのギャップにくらくらと眩暈がして、ぐったりと冬弥に寄りかかる。
 冬弥はたったの一度もオレを責めたりしなかった。いっそ責めてくれたらいいのにと思うが、冬弥がそんなことをする人間じゃないことはオレが一番よく分かっている。だからこそ、受けいれると言いながらちっとも言うことを聞かない己の体が憎らしい。
 
「今日はこれで終わろう……また今度、彰人の体に触れてもいいか?」
「……あたりまえだろ」
 
 必要のない許可をとろうとする冬弥に唇を突き出すと、冬弥はほんとうに、幸せそうに瞳を潤ませた。
 
「ありがとう……彰人、好きだ」
「……ん」
 
 気恥ずかしさに顔が熱くなるのを感じて、隠すように頬を胸元へ寄せながら、許可をとろうとしたのは、オレがいやになっていないかと気を遣った可能性に思い至った。そんなところまで冬弥は優しいのか。胸に熱いものがこみ上げて来るのを感じながら小さくオレも、と呟いた返事を、耳のいい冬弥は拾ったらしい。小さな笑い声に合わせて体が揺れた。
 触れあった場所から、とくとくと穏やかな鼓動が伝わってくる。ただ唇を重ねて、愛を伝えあっただけなのに、幸福な充実感が全身を包みこんだ。恥ずかしいのは事実だが、心がぽかぽかと温かくなり嬉しい気持ちになったのもまた事実だった。
 もしできることなら、いつまでもこうして重なりあっていたい。ふたりでいっしょに気持ちよくなりたい。
 そう思える相手が冬弥でほんとうによかった。
 身を預け、ぼんやりとそんなことを思いながら、体に伝わってくる鼓動だけを目を閉じて感じていた。
 
 
 
 気持ちだけではどうしようもないことはままある。
 サッカーも、音楽も、恋愛も。体がついてこなければ、オレの気持ちは宙ぶらりんのままだ。
 冬弥を見送りひとりになった部屋で鈍い光を放つスマホと向きあう。この行為はいつも憂鬱だが必要なことだ。投げとばしたくなる気持ちをぐっと堪えて見慣れた文字列をタップする。
 こんな話をだれに相談すればいいか分からなかった。アドバイスを求めることもできず、解決方法を探るようにネットの海を彷徨う。膨大な情報の中から参考になるものを探すのも大変だ。隅から隅まで繰りかえし読みながら、はぁ、と深い溜め息をつく。
 結局のところ、冬弥を受けいれるにはオレの体をほぐすしかないのだ。
 分かりきったアドバイスに今度こそスマホを投げとばしてベッドへ突っ伏した。スマホはオレの頭のすぐ横へ落ち、ベッドがわずかに沈む。
 いっそのこと杏やこはねにでも相談してみるかと考えて、なにを血迷ったことをと首を振った。絶対にない、ありえない。
 ふたりがないなら。そうするとオレが頼りにしている大人たちの顔が次々と浮かんできて血の気が引く。謙さんはもっと論外で、大人も混じるセカイのメンバーだったらと思ったが、それも憚られた。
 流石に恋人との性事情を相談する勇気はない。それに、冬弥に無断で話をすることもいやだった。
 冬弥への愛情にも受けいれたいという気持ちにもなにひとつ嘘偽りないが、それでも、オレの体はいっこうに開く気配を見せなかった。
 
「……根気強く、やってくしかねえよな」
 
 腹を決め、よし、と頷いたところで横に落ちたスマホが震えた。手を伸ばし画面を確認すると別れたばかりの冬弥からメッセージが届いていた。
 デートをしたあとに必ず感謝を伝えてくる冬弥に、何度、送ってこなくていいと言ったか分からない。嬉しさより気恥ずかしさが勝って返信に困ってしまう。それなのに、結局冬弥は返信はいらないと言っていまでも飽きず続けている。
 
「……次も楽しみだ……か」
 
 セックスができないからと、人を嫌うような男ではない。けれど、散々と丁寧に解しているのに自分を拒絶する男を、冬弥がずっと好きでいてくれるかは分からない。
 
「……もう少し調べるか」
 
 気持ちよくなるためにはあたりまえに冬弥が必要で、だれにもアドバイスを求められないのなら、結局、ふたりで解決するしかないのだ。
 
 閉じていたタブを再度開く。連想される単語を足りない頭で捻り出して、繰りかえしウェブサイトを読みこんだ。
 すべては冬弥と、愛しあうために。
 
 
 
 [newpage]
 
「よっ」
「お邪魔します……彰人、これ」
「いつも用意しなくていいって言ってんだろ? ……お、うまそーなクッキーじゃん」
「有名なお店のものらしい」
「マジか、さっそく食べようぜ。飲み物取ってくるから先上がってろ」
「分かった。ありがとう」
 
 とある日曜日。
 BROWNでの対決以降、適度に体を休めるようにしようと設けられた休息日の、暖かな昼下がり。
 オレは暇になるという冬弥を自室へと招いていた。
 
 
 
 靴を脱ぎ丁寧に揃えた冬弥を二階へと追いやり、貰ったクッキーから二人分取り出して残りは棚に仕舞う。たぶん絵名が食べるだろ。コーヒーが切れていることをすっかり忘れていて、仕方なくお茶を用意した。
 コップとクッキーの準備を済ませ自室の扉を開くと、冬弥は部屋の中央で荷物も下ろさずぼーっと宙を見つめていた。テーブルにおぼんを置いて、立ったまま動かない冬弥の頬をつんつんとつつく。
 
「お待たせ……ぼーっとしてるけど、どうした?」
「あ……いや、なんでもない」
「そうか? っと、わり、コーヒー切れててお茶しかねえけどいいか?」
「ああ、構わない。ありがとう」
 
 妙な歯切れの悪さを不気味に思いつつ、冬弥からコートを剥ぎとってハンガーに掛けた。ついでにバッグもひったくり壁際へと寄せる。
 冬弥はやっと動き出したのか、ぎし、と後ろからベッドが軋む音がした。
 
「今日はやけに静かだな」
「あー……さっきまで絵名がいたんだが、暁山と出掛けるって出ていったから、いま、だれもいねえんだよ」
「そ……そう、なのか。ご両親は?」
「元からいねえよ」
「……だれも?」
「だからそうだって」
 
 珍しく根掘り葉掘り聞いてくるなと不思議に思って振りかえると、オレと目が合った途端冬弥の頬がみるみる真っ赤になった。
 ここまで赤くなるのは珍しい。いかにも照れていますと言わんばかりの表情に、なにかまずいことでも言ったかと、自分の発言を思い出す。
 親はいない。絵名はさっき出ていった――つまり、ふたりきり。
 言わんとすることを察してしまって、赤面する冬弥につられるように頬の皮膚が熱くなった。
 
「や……そんなつもり、じゃ、なくて……」
「あ……す、すまない。分かっているんだが……最近ふたりきりになる時間がなかったから、少し意識してしまって」
「お、まえなぁ……」
 
 羞恥心があるのか、ないのか。
 恥ずかしそうにしながら、恥ずかしげもなく羞恥を煽るようなことを口にするのはやめてほしい。オレが照れる。
 冬弥には昔からこういうところがあったが、付きあい始めてから余計、隠すことをしなくなった。
 羞恥心を母親のお腹にでも置いてきたのかと言いたくなるぐらい、甘い言葉を口にすることに抵抗がない。しかも真顔で。もう少し揶揄うように言ってくれればオレも怒った反応を返せるのだが、冬弥は冗談を言わない。冗談を言えないやつだと知っているからオレはいつも、そんな冬弥に振りまわされている。
 どういう顔をすればいいのか分からず、誤魔化すように冬弥の隣に勢いよく腰を下ろした。勢いがよすぎて座る位置をコントロールできず、とんと肩が触れあう。
 心臓の音が聞こえるのではないかと思うほどに近い距離は決して初めてではない。うまくいってはいないがセックスだってしている。そもそもふたりでいた時間の方が長い。なのに今更、冬弥とふたりきりであることを意識して恥ずかしくなる。
 頬が熱い。ごほん、とわざとらしく咳払いをして気を取りなおした。
 
「そ、れよりさ、この前四人で合わせた歌あっただろ?」
「ああ。いつもとタイプを変えてみたやつだな」
「そうそう。今度のイベントさ………………」
 
 
 
 ◇
 
 
 
「あ……そういえば」
「ん? どうした? …………冬弥?」
 
 変な空気にふたりしてどぎまぎしていたが、音楽の話をし始めれば、オレたちはいつも通りの相棒だ。
 あれ歌いたい、こっちもいいな、とベッドに背を預け次のイベントの話をしていた最中に、なにかを思い出したのか冬弥が突然立ちあがった。その声にはわずかな緊張の響きが混じっている。
 冬弥の動きに驚いて、追うように顔を上げた。あまり人の会話を遮ることをしない相棒の珍しい行動に目を見張る。
 話したいことはまだあったが非難するつもりはない――のだが、呼んでも返事がないのは少し不満だ。もう一度呼ぼうと口を開きかけたが、オレの声に気づきそうのない背中に諦めて唇を結んだ。
 窓から差しこむ陽光が暖かい。その暖かさに眠気を誘われ、伸びをしながら小さなあくびをひとつ。
 穏やかで、平和な時間。気が立っている状況であればこんな時間も悪くないと思えるのだが、いまは穏やかさを求めているわけではない。やることがなくとても暇だ。すぐに戻ってくるだろうと思うと雑誌を開くのも面倒で、仕方なく、ゴソゴソとバッグを漁る後ろ姿を観察する。
 濃い髪色の方に外向きの房がひとつ。ぴょんと跳ねている寝ぐせが、体の動きに合わせて上下に揺れていた。可愛いな、あれ。
 寝ぐせのつきにくい相棒の珍しい愛らしさに小さく笑っていると、ちらりと振りかえった顔と目が合った。
 
「あ……いや、馬鹿にはしてねえからな。ちょっと可愛いと……」
「…………」
「……冬弥?」
「いや……」
 
 あいまいな顔、なにかを言いかけては閉じる口。
 寝ぐせを笑ったのがバレたかと思ったがそうではないらしい。
 
「……」
「とーや、どうした?」
「彰人……」
 
 むっつりと黙ったまま、いつまでも口を開きそうにない冬弥を優しく促す。
 オレに言い出しにくい内容に少しばかりいやな予感がしたが、とりあえず話を聞き出すことを優先させた。聞き出さないと厄介なことになると経験済みだからだ。昨日の出来事かと思うほど鮮明な思い出が、ナイフのように鋭く蘇る。
 あんなつらくて悲しいことは二度と経験したくないし、できれば思い出したくもない。思わず顔を顰めそうになって慌てて取り繕った。
 
「彰人」
 
 言いよどんでいた冬弥はオレの名前を呼ぶとくるりと振りかえった。へんに真剣な、引きつったような顔と目が合う。あまり見たことのない表情に驚いていると、オレを見据えたまますぅっと息を吸いこんで、バッグから白いものを取り出し口を開いた。
 
「これを……使ってみたいんだ」
「……!?」
 
 手元にある物体には見覚えがあった。ネットで何度も見かけたから知っている。
 呆気にとられていると冬弥はなにを思ったか、オレの目の前にパッケージを移動した。見やすいようにとでもいうつもりか。いまはまったく嬉しくない優しさに眉を寄せる。
 冬弥の手には似つかわしくない、というより、この場にあってほしくないもの。
 T字の形をした白いなにか。表には英語で商品名らしきものと、その横に大きく『超快感』と書かれている。
 犬が突然吠えてきたかのような衝撃とともに、くらりと眩暈がオレを襲った。
 その文言はたしかに気になる。気になって、体験談もレビューも見た。しかし、好意的な意見が多いほどサクラではないのかと、若干のうさんくささを感じて買わなかった。
 そんな、オレが買わなかったものをなぜか冬弥が手にしている。
 なんで冬弥がそんなものを持っているのか。頭を抱えそうになるのをすんでのところで堪えた。ちらりと見上げた冬弥の顔は少し赤いが、その眼差しには強い意志が込められている。言いよどんでいたわりに一歩も譲る気はなさそうだ。
 この冬弥にも見覚えがある。
 冬弥は大概、頑固なのだ。冬弥が話してくれる親父も頑固そうだから、親譲りの、生粋の頑固野郎だった。
 なぜこれを話の最中に思い出したのか、なぜ、取り出してオレに見せたのか。
 いろいろ言いたいことはあったが、とりあえず。オレは意を決して、冬弥の気合の入ったシルバーの瞳を見つめて、震える口を開いた。
 
「いやなんだが……」
「えっ」
 
 
 
「一応聞くけど、どうしたんだよ、それ」
「通販で買ったんだ。彰人が気持ちよくなるようになにかないかと色々見ていて……こういうのも良さそうかと」
「はぁ……」
 
 オレのため息から剣呑な雰囲気を感じとったのか、冬弥はしゅんとしてうなだれた。いかにも落ちこんでいます、と言わんばかりのオーラがビシバシと伝わってきて少し胸が痛む。
 完全に、真面目で優しいところが裏目に出ていた。
 冬弥がオレに対して呆れることなく、ふたりで気持ちよくなるためにいろいろと考えてくれているのは分かる。それを嬉しいと、顔には出さないが思う自分もいる。しかしなんとも、いたたまれない。
 視線を落とした濡れた瞳にぐっと心臓を掴まれたような心地になって慌てて意志を強く持った。
 オレは冬弥の顔に弱い。特にこのさみしそうな、子犬みたいな濡れた瞳にすこぶる弱くて、その顔を見るとなんでも許してしまいたくなる。
 犬は苦手だが、犬みたいな冬弥だと話は別だ。付き合う前からそれをはっきりと自覚していた。
 よぎった悪い予感を追い出すように頭を振る。今度こそあの顔に流されないようにしなければと、できそうもない気配を察知しつつ誓った。
 
 
 
 できるだけ冬弥の顔を視界に入れないように目を逸らし、目の前のものを見つめる。
 それは、ふたりで気持ちよくなるため、インターネットで検索していたときに見つけたものに似ていた。似ている、というより完全に同じ形だ。
 パッケージには「医療用で安心」と書かれている。
 医療用――たしかにこれは、エネマグラと呼ばれる、前立腺炎などを原因とする勃起不全の治療のためのれっきとした医療器具である。オレが見ていたサイトにも、最初の方にはそういった難しいことが書かれていた。
 しかし、そのあとには必ず「アナルで気持ちよくなれる」という文言がついてまわっていたのだ。このパッケージにも「医療用で安心」の上には大きく『超快感』と書かれているわけで、どういう用途かは想像に容易い。
 ネットの情報を鵜呑みにするならば、個人差はあれど、使用していく内に前立腺という男性の気持ちいいところが開発され、射精をせずにイけるようになる――らしい。
 前立腺。男にしかない、男が気持ちよくなるところ。
 いまなら迷信だと分かる。現にオレはケツを触っているが気持ちいいと感じるところなんてない。しいて挙げるなら、オレの体を触る冬弥の手が温かくて気持ちいいぐらいか。
 けれど、もしそんなものがあるなら、冬弥のモノを挿れただけで気持ちよくなれるんだろうか。
 
「……っ」
「彰人?」
「や、なんでもねえ」
 
 重たくなった頭をぶんぶんと振った。オレはなにも想像していない……はずだ。
 要するに、これはうしろの開発器具である。なんなら冬弥の手にあるものは、医療用というよりもジョークグッズに近いパッケージをしていた。
 らしくない、ほんとうにらしくない。
 いまのオレたちに必要なもの、と言われればたしかにそうなのだが。
 冬弥はたしかに天然だが頭もオレよりいいし、いくらなんでもネットの情報を鵜呑みにするやつではない、と思いたいがしかし。
 冬弥は頭は良いが天然でしかしそこが面白い――と、だれかに言ったことがあった。そんなことを思い出してがくりと肩を落とす。
 相棒のことはオレが一番よく分かっているのだ。
 オレがじっと見つめているから、エネマグラに興味をもったと思ったのだろうか。はい、と差し出されたものを受けとった途端、俺の口から出たのは大きなため息だった。
 
 
 
 薄いビニールを剥いで、表裏をひっくり返してみる。ぽっこりと膨らんだところがふたつあり、そこから下へと変な形の取っ手が繋がっている。
 全体で見るとT字の形をしたそれは、やはりネットで見たものとおなじだ。デザインも用途も知っているが実物を手に取るのは初めてで、気恥ずかしさより好奇心が勝ってじっくりと眺める。
 初心者向けとも書いてあることが多い商品だ。なるほど、と納得する。たしかにサイズも片手に収まる程度で、これならば痛くはなさそうだ。問題は、これを冬弥が使おうとしていることである。
 
「お前、これ使ってみたいって言ったよな」
「あ、ああ」
「……お前以外のものを入れることに抵抗ねえの?」
 
 気にしていたことを伝えると、冬弥は不思議そうに目をぱちくりさせた。
 
「彰人は、これが入れるものだと知っているのか?」 
「え!? あ、ああ……いや、形的に、入れるのかと……」
 
 まったく予期していなかった質問に焦り、変なふうに声が裏返ったが咄嗟に誤魔化す。冬弥は納得したように頷いて、オレは内心ほっとした。
 なんとなくだが、知っていると口にするのは恥ずかしい。
 オレが胸を撫で下ろしている横で、しばらく難しい顔をして考えこんでいた冬弥は、微笑みとも苦笑ともつかぬ笑みを浮かべながら顔を上げた。
 
「そうだな……考えてみたのだが、俺は焦っているのだろうと思う」
「焦る? いや、お前落ちついてるし、そんな風には見えないけどな」
「彰人がそう感じてくれているのならいいんだが……優しいだけでは彰人のことを気持ちよくできない。いやじゃないか、苦しそうじゃないか……とか、気になって止めることが優しさだとは、思えなくなってきた」
「冬弥……」
「ある程度の強引さもないとダメなのではないかと、最近思うようになった」
 
 強ばった笑みを口元に浮かべる冬弥は、ずっと、あまりにも真摯だった。胸の奥から喜びがじわじわと込みあがってくる。嬉しいような、恥ずかしいような、こそばゆい気持ちで胸がいっぱいになる。
 冬弥はほんとうに優しい。この優しさを全身で浴びることが気持ちよかった。だからこそ、心を押し殺しているような笑みを、オレ自身がさせていることが許せなかった。 
 すぐ開こうとする冬弥の口を手を上げて制した。触れた唇は緊張しているのか冷たく震えていて、温めてあげたいと強く思った。
 
「彰人……?」
「先言っとく……ダメとか、ねえからな。お前がオレとのこと考えてくれてるのは分かるし嬉しいが……いままでのお前のやり方が違うとか、ダメとか、オレはそんなこと一度だって思ったことない」
「……そうか」
「冬弥が優しくしてくれてんの……嬉しいから。それは分かっとけよ」
「そうか」
 
 冬弥が自信をなくす理由はひとつもない。
 伝えたいことをうまく言えたか分からなかったが、冬弥の顔に泣き笑いに似た表情が浮かんでほっとする。ありがとう、と震えた声はオレの手のひらに吸いこまれた。ありがとうなんて、オレが言いたいくらいなのに。
 冬弥から視線を逸らさないままそっと手を下ろした。聞きたいことはまだある。
 
「お前の言いたいことは分かった。けど、なんでこれ?」
「これは入れたあと、彰人の体の動きに合わせて動くんだ。俺が動かさなくても彰人のペースで進められるし……何より俺の両手が空く」
 
 肩の触れあう距離まで近づいてきた冬弥は、両手でオレの頬を包みこんだ。
 
「集中して他のところを触れる」
「ん……」
 
 緊張はほぐれたのだろうか。唇の冷たさからは想像できない手の温かさに息が漏れた。
 冬弥の手は他のところを触るということがどういうことか実演するように、頬から唇へ、そして首元を這い、オレの手に辿りついた。エネマグラを持ったまま動けないでいる手の甲をさすって、エネマグラのぽっこりとした部分を指先で撫でる。
 軽やかでありながら、どこかじっとりとなまめかしい。
 官能を感じさせる疼くような動きを目で追って、ごくりと唾を飲みこむ。期待しているようなその音が、オレの耳にはっきりと聞こえた。
 
「ここの膨れたところが、彰人の前立腺を捉えて刺激してくれるそうだ」
「ぜんりつ、せん」
「ああ……彰人が気持ちよくなるところだ。まだ見つけられてはいないが……」
「っ……」
 
 すり、すり、と冬弥の細い指は白い曲線を撫でた。その光景にぞわぞわと背筋が粟立って、体の内側がもぞもぞと波立つのを感じる。冬弥はオレに触れるときとおなじ手つきで前立腺を開発する道具を撫でている。その優しい指遣いから目を離せない。
 白い丸みが、オレの敏感な部分だと錯覚した。さっきまで考えていた男が気持ちよくなるところ。冬弥は男が、ではなく彰人が、と口にした。そのせいで、いつかピアノを弾いていた、いまはマイクを握る指が、オレの剥き出しの神経を甘やかすように撫でる想像をしてしまった。体の奥の方のよく分からない場所がきゅんと疼く。
 興奮を隠しきれず、冬弥の腕の中で身震いした。甘ったるい感覚に腰がムズムズする。
 
「……彰人?」
「……っ」
「大丈夫か?」
「んっ……は、なんでもない……で、結局お前的に入れんのはいいわけ」
 
 生々しい想像に息が漏れそうになるのを反射的に誤魔化して、何事もなかったように話を続けたが、顔は上げられなかった。頬が赤くなっているのは、見えずとも熱さで分かる。
 
「俺がしたいという気持ちがないわけではないが……彰人が気持ちよくなる方がいい。彰人がいやじゃなければ、だが……それに、これならひとりでも使用できると思う」
「……は?」
 
 いやじゃねえけど、と続けようとしたところで聞き捨てならない言葉が耳に入り、頬が熱いのも忘れてつい顔を上げて聞き返す。
 
「ひとりで?」
「ああ、その方が慣れやすいと思うが……いやだったか?」
 
 悲しそうに眉をハの字に下げた顔に聞き返されるといやとは言いにくい。しかし、ひとりでするのと冬弥とするのとではわけが違う。
 冬弥の手は温かくて優しくて、オレを思う気持ちに満ちあふれている。しかし根本的に、異物を入れることへの抵抗があって、心では受けいれても体は恐怖に竦むばかりだ。
 どうにかしたいと思っていた。どうにかしなければ一生このままだと思うといても立ってもいられないような、ぞわぞわとした悪寒に支配される。それは結構、おそろしい。だから、冬弥も同じように思い、考えてくれているのは素直に嬉しい。嬉しいのだが。
 
「いやっつーか……まあ、必要ならやれなくもねえけど……一人ですんのにケツ洗うの、面倒なんだよ」
 
 オレは男で、必要な準備も多い。受けいれられない理由も、そもそもそこがものを入れる場所ではないことも大きい。
 洗浄が面倒とは語弊のある言い方だが、ナカを洗うには多大な気力が必要だ。洗浄自体は初めてやるときは手こずったものの、元々要領は悪くない。いまではすっかり慣れてしまった。こんなところで要領の良さを発揮するのもどうかと思うが、しかし気持ちは要領でどうにかなるものではない。
 自分のケツに指を入れるなんて行為を素面でやろうとはおそろしいものだ。正気じゃない。だからこそ、冬弥とするんだ、と深く念じ励んでいる。冬弥を思えば萎えそうになる気力も驚くほど上向いた。
 洗浄はふたりの間に必要だからやれている。それがひとり、となると話はまた別だ。
 冬弥と自分のためという言い訳が通用しなくなる。冬弥のためになると思えばやれないことはないだろうがあまり気乗りはしない。
 脳とは至極単純で思いこめば大抵のことはやれるが、この面倒な行為は冬弥がいないと、自分ひとりなら扱いて寝ればいい、という思考になってしまうのだ。冬弥がいないなら、ひとりで頑張る理由がオレにはない。
 結果冬弥のために繋がるとしても、そこに冬弥がいなければ、オレにとってはただのひとり遊びだ。
 
「あ……そうか、たしかにそうだな。すまない、考えが及ばなくて」
「……別に謝られるようなことじゃねえよ」
 
 冬弥はこちら側ではないからこの気持ちは理解しにくいだろう。頭を下げるとつむじがこちらを向いて、なんだかそれが無性に可愛くて擽るように頭を撫でた。
 
「それで……いまから? 準備してねえけど」
「そう、だな……いまからではダメ、だろうか。興味がある……彰人がどんな顔をするか、見てみたい」
「見てみたいって……」
 
 オレがこの顔に弱いと知っていてやっているのだとしたらほんとうに腹立たしい。身長は冬弥の方がわずかに、ほんの少し、高いはずなのだが、珍しく猫背気味になっているせいか綺麗な上目遣いになっていて、その可愛らしい顔にぐっと息が詰まる。
 求められるのは悪くない。冬弥もオレとの行為に積極的だと分かって嬉しいと思ってしまうから、ダメかと聞かれるとダメ、ではない。
 ぼんやりと冬弥の顔を見ていた。ほとんどこたえは決まっていて、ただ、すんなりと頷くのは腹立たしい。そんなことを考えていたオレをどう思ったのか、冬弥の顔に慈愛に満ちた笑みが浮かんだ。その不穏な気配にはっとなったが、頬を撫でる柔く温かい指に絆されてしまった。
 
「いっしょにきもちよくなりたい」
「……っ」
 
 その一言は、オレを頷かせるには十分な威力があった。
 オレのせいいっぱいの拒絶心は、冬弥が発したダメ押しのような言葉ひとつでしぼんでしまった。ふと、オレはエネマグラを使ってみたいと言われたときしか、いやだ、とは言っていないのではと思い出したが後の祭り。
 その顔でその言い方はずるい。いっしょに――それはオレがいま一番望んでいることだ。
 
「……はぁ、分かったよ。準備してくる」
 
 押し問答なく、折れた。
 結局、断れないことは最初から分かっていた。だってあの冬弥が、まちがいなくオレを求め、オレがいいと全身で伝えてくる。
 その愛に抗う選択肢なんて、オレにはないのだ。
 
「……ふふ」
「……なんだよ」
 
 頬が熱くてたまらない。
 不服だという顔をしてみたが冬弥は笑っているし、照れていることは早々にバレているのだろう。
 
「お前その顔すればオレが許すと思ってないだろうな」
「……彰人が、俺の顔に弱いのはなんとなく分かっている」
「わざとかよ!? くそ、腹立つ」
「意図してやっているわけでは……っ」
 
 冬弥の思い通りになっていることにかちんとして、ぐっと肩を引き寄せ口づけた。噛みつくように唇に歯を立てて、驚いた拍子に開いた口に迷わず舌を差しこむ。
 わざとでもわざとじゃなくても腹が立つ。冬弥にも、うっかり絆され冬弥のいいようにされている自分にも。そしてそれが、まったくいやじゃないことにも。
 濡れた舌に吸いついて、冬弥の弱いところを舌先で撫でた。ん、と色っぽい声が漏れるのに満足してゆっくりと口を離す。
 
「はは、かわいーじゃん」
「あ、彰人……! 突然……っ!」
 
 えっろいのをお見舞いしたつもりだから、真っ赤に染まった顔にしてやったりと笑って、オレは適当に掴んだ着替えを持って立ちあがった。恨みがまし気にオレを見上げた冬弥が口を開く。
 
「彰人、準備するなら俺も手伝う」
「その優しさはマジでいらねえ!」
 
 
 
 ◇
 
 
 
 結果的に、オレはエネマグラで気持ちよくはなれなかった。正確に言うとじんわりとした違和感はあったものの、ネットで見るほどの快感は得られなかった。
 
 
 
 少し乱れた息を整えながら起きあがる。異物が抜けていく感覚に、冬弥以外のものを入れた罪悪感が湧いたが、冬弥が気にしないならまあいい。オレが少しばかり気になるが。
 冬弥はオレの尻から抜いたエネマグラを見てしゅんと肩を落とした。オレに言った手前、うまくいかなかったことに申し訳なさを感じているのだろう。今にも謝りそうな顔を見ていられず頬を撫でてやる。
 オレの手が温かいことに冬弥は気づいただろうか。オレはそれだけでも結構な収穫だったと感じる。なんの収穫もなく、これからどうするかと頭を悩ませるよりよほど分かりやすかった。
 
「初めてだししょうがねぇだろ」
「しかし……あまり気持ちよくはなさそうだ」
「初めてで気持ちよかったらそもそもこんなに悩んでねえよ……全部入れても苦しくねえってだけで、オレには進歩だって」
 
 声を掛けながら冬弥の手元へと視線を落とした。白い物体はローションをまとったままうんともすんとも言わない、あたりまえだが。もちろん痛いより気持ちいい方がいいが期待しすぎである。どこでなにを見たのか、あとできちんと聞き出さなければならない。
 そう頭の中で思いつつも「何回もやってみりゃ分かんだろ」と口にしたのは、冬弥の落ちこむ姿を見たくなかったからだが、この対応はまちがっていたかもしれない。
 
「彰人……! 一緒に頑張ろう!」
「あ~はいはい、頑張る頑張る」
 
 曇った顔から一変、キラキラと目を輝かせる冬弥に一瞬背筋がぞわりとしたが、まあいいかと軽く流した。分かりやすくなった表情に仕方ないと胸の内で零して、つくづく冬弥の笑顔に弱くなったと実感する。笑顔だったり悲しげな顔だったり、結局オレはただ単に冬弥に弱いだけではと気づきたくないことに気づいてしまったが、好きなのだから仕方がないとむりやり納得させた。
 エネマグラは冬弥のモノよりも細い。冬弥の指程度の太さであれば痛みはないが、圧迫感と違和感はいまだ残っている。その感覚がいつしか快感へと変わり、冬弥と楽しめるなら――これを使うのもやぶさかではなかった。
 
 
 
 この日から冬弥との秘密の特訓は始まり――今日で十回目になる。
 そしてオレは、じょじょに変わりつつある自分の体に、言いようのない不安めいたものを感じていた。
 
 
 
 [newpage]
 
「それ、楽しいか」
「ああ。とても」
 
 柔和な笑みを浮かべた冬弥はオレと顔を合わせるとこくんと頷き、また、手元へと視線を落とした。
 よく飽きもせずに続けるものだと、冬弥がだれのために動いているかなんて分かりきったことだが、どうにも他人事のように感じてそっとため息をついた。
 
 エネマグラを初めて使ってみた日――冬弥はあろうことか、十回は使ってみようと言い出した。
 三回でよくないかと返したあの日のオレ。できれば冬弥の顔に負けず自分の意見を押し通してほしかった。後悔してももう遅いことは自分が一番よく分かっている。冬弥の可愛らしい笑顔にまあいいかとお決まりの思考停止で返した自分が悪い。いや、思考を停止していたわけではなく、冬弥が楽しいなら嬉しいし、笑顔が可愛いし、ならいいかと。つまり全部オレが悪い。
 十回やると決めた冬弥の意志はダイヤモンドよりも固かった。
 もう何度も先へ進みたいと言ったのに「まだ十回使っていないだろう」とちっとも聞く耳を持たない。そんな回数にこだわらなくてもと思ったが、冬弥の真剣な表情を前にやめてほしいと言えるわけでも言いたいわけでもない。ただ、じょじょに変化していく体の違和感をどうにかしてほしかったのだが、その違和感を与えている本人に縋るわけにもいかず、結局受けいれてしまった。
 
 ベッドにはローションとタオル、そして例のエネマグラが鎮座している。堂々とした存在感でオレの目の前に転がっているそれは、既に何回か使用しているものだ。その圧倒的な存在感に目を奪われる。ぞくぞくと背筋が粟立っておちつかないのは、こんな小さなものに体を変えられていく恐怖を感じているからだと思いたいが――
 
 くち……くちゅ……ぬちゅ……
 
「……っ」
 
 冬弥の指に纏わりついたローションがいやらしい水音を立てていた。エネマグラ全体に塗りこむ手つきは単純作業のような雰囲気を感じさせるのに、その指の持ち主が冬弥というだけで息が上がる。自分の喉からごくりと音がして、その音に驚いて体がぴくりと跳ねた。意識をすればするほど口の中にどんどん唾液が溜まっていく。耳に絡みいてくるような粘着質な音に反応し、快楽を求めるように腰がゆらゆらとしていることは自覚していて、これが恐怖ではなく期待だと、分かってしまった。はしたないと思うのに、強請るように腰を揺らすのをやめたいと思うのに、やめられない。
 
「はぁ……今日もやんだよな、これ……」
「もちろん」
 
 顔を綻ばせ楽しげに準備をしている冬弥に対して、オレは自分の痴態を思い返して眉をひそめた。
 九回の内に、オレの体はエネマグラと冬弥の指でぐずぐずにされてしまった。両手が空いて、後ろに気を遣わなくてよくなった冬弥になすすべもなく蹂躙された。触っていないところがないというくらい全身を隈なく愛撫され、どろどろにされたあとエネマグラを入れられる。そのまま道具に前立腺を刺激させつつ、空いた両手はオレの体をまさぐっていた。全身の快感がナカと繋がってどこもかしこも気持ちいいと感じてしまう。
 意識が飛ぶってこういう感覚なんだなと、堪えきれない喘ぎ声に溺れながらどこか遠いところでぼんやりと考えていた。自分が自分でなくなっていくような恐怖を冬弥は想像したことがあるだろうか。
 九回目にはもうナカだけでイく自信があり、とにかくオレはみっともない醜態を晒すのではないかと気が気でなかった。なんの自信だよと思ったが、そう感じるくらい、エネマグラとオレだけに意識を向ける冬弥はすごい。とにかくすごかった。
 冬弥には言わなかったが、次はダメになると確信していた。だから冬弥には悪いが正直、今日はまったく気が進まない。
 今日こそほんとうに、どうにかなってしまう予感がした。
 
 
 
 ◇
 
 
 
「入れるから力を抜いてくれ」
「ん……んぅ」
 
 洗浄とともに軽く拡げたナカを再度冬弥の指で拡げられ、ぬるりと、ローションをまとったエネマグラが入ってくる。内壁を割って入る圧迫感に息を詰めそうになり、力まないように呼吸を整えた。十回目とはいえこの瞬間はいつも少しだけ緊張する。冬弥のモノより細いとはいえ本来出す場所に異物を入れるのは怖い。
 
「は、ぁ……んっ……」
 
 今日はそれに加えて、このあと襲ってくるであろう快楽への不安が心臓がばくばくとさせていた。上がる息も高鳴る鼓動も決して期待ではないと思いたいが、冬弥の指で拡げられる内に期待へと傾いていた。早く触ってほしい。ちょろいなと思わなくもないが、冬弥の指は気持ちいいし仕方ない。
 オレを駆りたてているのは、冬弥と一緒に気持ちよくなりたいという思いだ。本気でいやがれば冬弥はやめてくれるだろうが、本心でやめたいと思っているわけではない。
 冬弥が言ってくれた言葉を思い出す。ふたりでいっしょに気持ちよくなれるのなら、後ろで快感を得られるなんてまさに願ったりかなったりだ。しかしそれ以外の不安がオレを躊躇させる。
 平静を保てる自信がないのだ。みっともなく変なことを強請ってしまいそうで、それは避けたかった。
 
「は、ぁ……」
「彰人、平気か? 苦しくないか?」
「ん、大丈夫……」
 
 エネマグラはT字の先のぽっこりと丸く膨らんだところが前立腺に当たるよう設計されている。冬弥の指に押しこまれナカへ収まったエネマグラも、もちろんオレの前立腺をしっかりと捉えていた。
 痛みも苦しさも感じない代わりにじんわりとした違和感が下半身に広がっていく。少しだけ熱くて、ここから気持ちよくなるんだろうなと感じる場所。自分が自分でなくなるような、前後不覚に陥りそうな。そんな感覚が自分の体に存在していて、いま、暴かれようとしている。
 ガラにもなく緊張していることを自覚して、深く息を吸いこんで吐き出した。これからなにが起こるのか考えたくもない。
 腰から下が使いものにならなくなる前にゆっくりと体を横たえ、早くもじんわりとした快感を主張し始めている前立腺から意識をそらすように力を抜く。ただもう、必死に行うすべての行動が無駄な努力な気がしていた。
 タオルで手についたローションを拭い、オレと向かいあうように寝転んだ冬弥に手を伸ばす。
 
「……今日は跳ねてねえ、な」
 
 こめかみ辺りの髪のサラサラとした感触を楽しむように撫でると、ぱちぱちと冬弥が瞬いた。
 
「ん? ……髪ならあまり跳ねないが」
「はは……ん、今日ちょっと思い出して……可愛かったな、って……」
 
 くるくると毛先を指で弄りながら、冬弥がエネマグラを持ってきた散々な日を思い出す。こめかみから辿るように輪郭をなぞって、体を寄せうなじを撫でると擽ったそうに身を捩った。
 
「それなら今日の彰人も可愛い」
「……? ん……ふ、ぁ……」
「ふふ、目がとろんとしてきたな……気持ちいいか?」
「ん……少し、な……」
 
 少し、なんて真っ赤な嘘だ。どんどん気持ちいいのが溜まってきていて、喋ったり動いたりするだけで破裂しそうだった。ナカはさっそくエネマグラをぎゅっと締めつけ、じんわりとした温かさが体を包んだ。
 
「ぅあ……ぁ……っ」
 
 噛み締めた唇から息が漏れた。やばい、気持ちいい。腰が快感を味わうようにかくかくと動く。
 初めてこれを入れた日から、すべてが変化していた。あの日覚えたじんわりとした違和感は確実に快感へと変わっている。
 腰が動くのを見られたくなくて、微笑む冬弥の首を引き寄せ顔を近づけ、薄く開いた唇に舌を這わせる。やはり可愛い、と甘い言葉を繰りかえして笑う冬弥に腹が立ってじっとりと見つめると、冬弥の瞳の奥で妖しげな炎がゆらゆらと揺らめいた。オレを欲しがる雄の目。赤く染まる目尻の色っぽさも相俟ってひどく煽られオレの劣情を刺激した。
 もっと見たくて顔を近づけると、オレの視線に気づいたのか、冬弥はまぶたを下ろしてしまった。隠しきれていない欲がじっとりとオレを煽るのを、これ以上ないくらい至近距離で見るのが好きなのだが、まぶたを閉じられると見ようがない。今回は仕方ないと諦めて、舌先でちろちろと唇の表面を舐め、隙間から覗く濡れた舌に誘われるように口づけた。
 
「んぅ……は、ぁ」
「ん、んん……」
 
 ぬるりとした感触が気持ちいい。
 最初はオレが握っていた主導権もいつの間にか冬弥と奪いあうことが増えた。冬弥も慣れてきた、ということだろうか。オレも冬弥とするのが初めてだが、なんでも要領よくできるのが功を奏したらしい。しかしオレの天下もそろそろ終わりそうだ。
 
「ふ、あ……ん、んぅ……は、とぉや……」
「んっ……ふふ、気持ちいいな」
 
 ねっとりと口内を舐って舌で掻きまわし、唾液を交換するように絡めあいながら冬弥の弱いところを擽る。隙間から漏れる甘い声がいやらしくてぞくぞくした。粘膜を擦りあわせ音を立てて吸いあげると、冬弥も負けじと、オレの弱いところを舌で舐った。上顎を擽られると気持ちよすぎて甘ったるい声が漏れる。
 一方的に責めていたときもよかったが、これはこれで求められている感じが伝わってきて興奮するし、何より気持ちがいい。
 キスはどんどん深いものになっていく。ちゅっ、くちゅ、と可愛らしい音といやらしい音が交互に耳を犯した。
 
「ん……冬弥……ん、んぅ……んぁ!」
 
 音に煽られきゅんと疼いた拍子にナカが強く締まり、エネマグラが前立腺を抉り立てる。ぬるま湯に浸かっているような柔らかな快感から一変、我慢できない心地よさが体を包み、甲高い声が飛び出た。
 
「彰人?」
「ぁ、あ、ちょっ……んぅっ! あ、これ……ッ」
「彰人、彰人……大丈夫だ。気持ちよくなるだけだ」
「それがヤなんだ、て……ッあ、ぁ……ッん、ぅ……!」
 
 甘ったるい嬌声を零す口を離した。切れた銀糸が顎に垂れたことを気にする余裕もなく、口を塞ぐように枕に顔を押しつける。反対に腰が宙に浮いたせいで、腰だけを冬弥の前に突き出していた。こんなところで気持ちよくなるなんてという被虐の思いから、急激に腰の快感が高まっていく。
 ぴくん、ぴくんと腰が跳ねて甘い声が漏れた。体がほかほかと熱い。後孔周りの筋肉が快感を追うように勝手に動いてエネマグラを締めつけた。
 
「ぁ、ぁ、ヤ、待っ、冬弥……っこれ、ぁ……ッぁ……ッひ、あ……!」 
 
 ひっきりなしにこぼれる恥ずかしい声を抑えられない。上半身をぺたりとベッドにくっつけ、悲鳴にも似た喘ぎ声を枕に吸いこませながら快感と衝撃に震える。
 発情したケモノのような格好に勝手に追いつめられる。こんなはしたない姿を冬弥に見られていると思うと、ぱっかりと外向きに開いた膝がガクガクと震え、勃ちあがった先端から我慢汁が漏れた。恥ずかしい。死ぬほど恥ずかしいはずなのに、腹の奥からじわじわとなにかがのぼってきていた。恐ろしくて苦しくて、視界の端で星がチカチカと瞬く。
 
「気持ちいいな」
「っや、あ、あ……! ちがっ、ぅあ……っ!」
 
 耳から流れこむ優しくて甘い声にわけも分からずかぶりを振る。この恐怖が気持ちいいことなのだと知りたくなかった。それなのに優しい声で言いくるめられると断言された気になって、快感を認めてしまった体はびくんと跳ねる。
 オレの意識の外で、腰がかくかくと上下にぶれた。どこもかしこも敏感になっているみたいだ。震える腰をぽんぽんと叩かれて刺激の強さに仰け反って喘ぐ。冬弥の温かな手のぬくもりが腰から全身にじんわり染みこんで、己を形成するすべてがどろどろに溶けていく。止めるつもりで伸ばした手は簡単に捉えられた。
 
「ふ、ぁ……あ……ッ」
 
 体じゅうが己の意識から離れていく。ぎゅっと握りこんだ手の熱だけがオレを人間たらしめる。
 こんなことで体を震わせて声を上げて、恥ずかしくてたまらない。枕のおかげで濡れた顔を見せずに済んだのは唯一の救いだ。
 存在を確かめるように冬弥の手を握りしめた。握りかえされた感覚に安堵していると、左手は繋いだまま、空いている右手がまた動き出す。ぽんぽんと叩く動きに合わせてナカがエネマグラを締めつけて、また声を上げた。
 
「ふ、あ゛、ぁ……っそれ、やめ……っ!」
「これ、気持ちいいのか?」
「ちが、あ、ぁ……っ」
 
 こんな甘く蕩けた声で違うと言っても説得力がないことは分かっている。それでも言葉にしないと、快楽を認めるみたいでひどく恥ずかしかった。
 エネマグラはしっかりと前立腺を捉え、ナカの収縮に合わせてぐっと押しこんだり離れたりを繰りかえしている。快感を求めるように後孔がひくひくと痙攣して恥ずかしい。締めつけなければいい話なのだが、力を抜いたままでいることができない。
 逃げたいのにナカを締めつけて、自分で自分を追いつめていく。じくじくしたものがどんどん腹の奥に溜まって今にも弾けそうだ。イきそうになるのを我慢できない。怖くてぼたぼたと涙があふれる。どこかにいってしまいそうな感覚がすぐそこまできていた。
 怖い。ひとりで狂うのはいやだ。みっともない姿を見せるのはいやだ。それなのに耐えられそうにない。苦しい。
 とうや――たすけて。
 
「大丈夫だ、彰人」
 
 耳元で柔らかい声が聞こえた。安心させるような響きにほっと救われた気分になって、たとえようのない幸福感が全身を包みこんだ。滲んだ視界に満足そうに顔を綻ばせる冬弥を捉える。
 
「気持ちいいな」
「ふ、ぁ……ぁ、」
「ここにいる」
「んっぅ、ぁ、ぁ、もぉ、イくっ、ひっ!」
 
 優しい声に導かれ、込みあげる多幸感に全身がどろりと蕩ける。ぐっと背中を丸めながら冬弥の手に縋りついた。
 
「っ……彰人、イってくれ」
「んっんぁ……、あ、やぁ……イ、くぅ……ッ!」
 
 悪魔の囁きのような甘美さを持つ声に導かれ、腹の奥から湧きあがる衝動に従う。甘く掠れた声を枕に吸いこませ、エネマグラを咥えこんだケツを高く突きあげたまま、オレは後ろだけで深い絶頂を迎えた。
 
 
 
 ◇
 
 
 
「はっ、ぁ、はぁ……」
 
 大きく息を乱しながらくたりと四肢を投げ出し絶頂の余韻を味わう。いままで必死に抗っていたのが馬鹿らしくなるくらい、体が溶けるほど気持ちいい。上りつめたまま下りて来られない感覚を他人事のように捉えながら、手足の指先までじわじわと巡る重く深い多幸感にうっとりと息を吐いた。怖いとか苦しいとか、オレを襲うわけの分からない感覚の正体が「気持ちいい」ということだと、脳が、体が、理解する。
 
「ぁ……ぁ……ッ、あ、ぅあ…………」
「はぁ……彰人、気持ちいいな」
「んっ、ぅん、んぁ……」 
 
 冬弥はどう思っているのだろう。目の前でみっともなく喘いで、エネマグラを入れたケツを高く突きあげ腰を揺らす相棒を。オレは情けなくて泣きそうだ。
 一刻も早く抜きとってしまいたいのに、縋りついた手は固まってしまったかのように冬弥の手を強く握りしめたまま離すことができない。なんでもいいから早くおちつかせてほしい。ぴくぴくと痙攣する腰を下ろして、全速疾走したかのような息を整える――はずだった。
 
「あ゙っ!? ま、待て……っあ、ぁ!」
「彰人?」
 
 息が乱れたまま整えられない。おかしい。
 
「んぁっ、ん、んっ、ぁ!」
「……すごい、彰人、可愛い……」
「感動して、えぁ!? あ、やっぁ、なんっで……っ」
 
 オレが後ろだけでイけたことが嬉しいのか冬弥が珍しくはしゃいでいた。めったに聞けない少し高い声を可愛いと思うのだが、そんなことに構っていられない。絶頂の波がちっとも引かないのだ。
 なんで、と混乱している間もエネマグラは前立腺を抉り、快楽を与えようとしてくる。
 
「ぁ、はあ゙……ッ!」
 
 抜かなければ、とオレの勘が激しく警鐘を鳴らしていた。早く、この病みつきになりそうな快楽を与えてくる物体を抜かなければ、オレはまちがいなく醜態を晒してしまう。心臓がドキドキと痛いくらいに鳴っていた。
 渾身の力を込めて冬弥の手を振りはらい後ろに手を伸ばし、震える手でエネマグラの取っ手を掴んだ。
 掴んだのだが――引っ張っても引っ張っても、ぐっぽりと奥まで嵌りこんで抜けなかった。
 
「なんっ、あ、いやだ、あっ、ぁ~~っ」
 
 エネマグラが抜けるのを嫌がるようにきゅむきゅむとナカを食い締めているのが自分で分かる。分かってしまった。抜こうとする手とは逆に、ナカはエネマグラを締めつけて、先端のぽっこりとしたところがぐいぐいと前立腺を押しこんで刺激する。
 行動と意思がちぐはぐで、ぶんぶんと頭を振った。なにが起きているか、分かりたくない。気持ちいい。
 
「彰人、大丈夫だ。そのまま委ねてくれ……」
「いやだっ、や、とーや! とぉ……っ、抜い……っふ、ぁ……」
 
 いつの間にか仰向けに寝転ぶ冬弥に抱きしめられていた。ぎゅっと、全身を包む温かいものが冬弥の体だと匂いで分かった。ひっきりなしに襲い来る絶頂の波に抗っていたせいで気づかなかったが、冬弥の優しい笑みが目の前にある。
 
「ふ、ぁ……あった、け……きもち、ぃ……」
「っ……大丈夫だ」
 
 早く抜いてほしい気持ちがすっとどこかへ消えた。代わりに、弱火でじっくりと煮込んだような、とろとろとした快楽がオレの全身を解し始める。
 冬弥の上でだらりと力を抜いた。柔毛の繭に包まれる感覚があって、頭の芯が痺れるほどの心地よさがオレを支配する。
 
「彰人、可愛い……顔、とろとろだ……」
「あ……見んな、や……ぁ」
「すまない、それは無理だ……彰人が気持ちよくなるところ、もっと見たい。見せてくれ……」
 
 顔を撫でる手の濡れた感触で自分がぼろぼろと泣いていたことを知った。苦しくても痛くても泣かなかったのに、快楽で涙を流している。恥ずかしい、どんな顔をしているか分からない。
 冬弥の熱っぽい瞳にはやっぱりオレの好きな炎が灯っていた。オレを焼き尽くすような熱で、余すところなく見られているのが、気持ちいい。
 
「見んな……っ、あ、また、ん……イ、くぅッ、や、ぁ……ッ!」
「彰人……あきと、可愛い」
 
 オレを愛でる言葉を繰りかえす口を腹立たしく思いつつも、心のどこかで嬉しいと感じるくらいには頭がどうにかなっていた。ひどく甘ったるい声が腰に響いて、足のつま先からてっぺんまでぞくぞくとしたなにかが駆け巡る。顎に手を添えられているせいで顔を隠すこともできず、絶頂に蕩ける顔を晒しながら懇願する。
 
「むり、むり……ぃ、イきてぇっ、て! とーや……ッ!」
「イっているだろう?」
「ちが……っ、ナカ、いやだ……ぁ、だし、てぇ……っ」
「……せっかくナカで気持ちよくなれているのに」
「っ、くひっ!」
 
 もう解放してほしい。自尊心をかなぐり捨ててせがんだのに冬弥は不満げに唇を尖らせ、背中に乗せた手でまたぽんぽんと腰を叩いた。子どもをあやすような優しい手つきで、決して強い衝撃はない。しかし、その緩やかな刺激は、弱いところをごりごりと嬲る道具が入っているいまの状況では死刑宣告に近かった。
 断頭台にでものぼった気分だ。無抵抗に柔らかい台に乗せられ、冬弥の手はギロチンさながら上から降ってきてオレの腰を優しく叩く。こんな優しくて柔らかいギロチン、あってたまるか。笑えねえ。
 
「〜〜〜〜ッ!」
「……腰叩くの、やはり気持ちいいんだな」
「ひ、ひ……っ、んにゃぁっ、それやめっ、イく、イくぅ……ッ」
「……顔もそうだが、声もとろとろだな。可愛い……」
 
 猫みたいだ、なんて馬鹿みたいなことを言う口をいますぐ塞ぎたいのに、その力も残っていない。それどころか冬弥の言葉を裏付けるように発情した猫みたいな声を上げていた。冬弥の手の動きに合わせるように腰が痙攣して、またナカで果てる。
 何度もイっている感覚はあるのに射精の感覚はない。下を見ると我慢汁はとろとろと垂れているが白濁は見られなかった。ナカだけで絶頂を極めているという事実に泣きそうになりながら顔を上げると、慈愛のこもった眼差しとぶつかった。たすけてくれよと手を伸ばす。
 
「イっ、出してえってぇ……っ、冬弥……っ触って……ッ!」
「まだあと少し見ていたいんだが……」
「~~くそ……ッ」
「あ、彰人!?」
 
 もう、ほとんど意地だった。触ってくれないなら自分で触ってやると、驚く冬弥に構うことなくありったけの力を込めて起きあがる。それだけでわずかに残っていた体力を使い果たしたが気にしていられない。とにかく出すことしか考えられず、膝立ちになって、しとどに濡れそぼる性器を掴んだ。
 やっと触れることのできた性器は、放置されていたにも拘わらず健気に勃ちあがっていた。先端から精液にも近い我慢汁が漏れるようにだらだらと垂れていて変な気分になってくる。
 
「うっ、ひ、ぁぅ、ぅ……!」
 
 力の入っていない手ではうまくできない。それでも求めることをやめられず、引きつったように声を震わせオナニーをしていた。恥ずかしい。剥き出しの性欲を見せつけて、しかし、その恥ずかしさに一層体は熱くなるばかりだ。
 
「……すごいな」
「ぁ、……ッ」
 
 冬弥は感嘆の声を零して少しだけ体を起こした。見上げる顔と視線が交じり、どくんと心臓が脈打つ。ぞっとするほど美しい顔の近くで、オレのぱんぱんに膨れたグロテスクな性器が透明の蜜を垂らしながら、いまかいまかと解放される瞬間を待っていた。そのアンバランスさと妙な心地に馬鹿みたいに興奮してぞくぞくする。
 触ってほしい。オレの大好きな、長く綺麗な指で、全身隅から隅まで愛してほしい。ひとりじゃないと、刻んでほしい。
 冬弥に向けた特大の欲求を口に出したつもりはなかった。しかし、オレの思いは唯一無二の相棒に届いたらしい。オレを見上げて薄く笑った冬弥は、とろとろと蜜を零す鈴口にゆっくりと指を伸ばした。
 
「〜〜ッぁ、ぇうッ!」
「漏らしてるみたいだ」
「んっ、んぁ~~~~ッ!」
 
 粗相を咎めるように穴に爪を立てられると体が面白いほど震える。聞いたことも見たこともないような意地悪な声色と微笑みに煽られ、あまりにも容易く蕩けてしまった。指がくちくちと鈴口をくすぐり、また我慢汁がとぷりとあふれる。内ももがぶるぶると震え、力の抜けそうな体が前のめりになると冬弥の腕に支えられた。
 
「あえ、ひ、ひッ、あっ!」
 
 指が根元から裏筋まで這い、伸ばされた手のひらで先端を包みこまれる。心臓がどくりと跳ねあがった。自分で扱くよりも、いや、そんなものとは比較できないくらい気持ちよくて、頭のてっぺんから指先まで駆け巡った熱がぶわっと膨張する。
 
「ふ、もう、出そうだな」
 
 指先でくるくると先端を撫でまわす冬弥が耳元で「いい子、いい子」と小さく囁いた。その耳に絡みつくような、粘るような甘い声が聞こえた瞬間、オレの脳を満たした多幸感に全身から力が抜けた。
 もう無理。なにも考えたくない。
 気持ちいい以外、分からない。
 
「ひ、むり、ぁっ、いく、いく、いくぅ……っ!」
「……早く、ここに挿れたい」
「ぇ、ぁ〜〜〜〜ッ!?」
 
 もう出る、と目をつぶった瞬間、エネマグラをぐっぽりと咥えた後孔を冬弥が撫でた。挿れたいと言う切羽詰まった声と、その感覚に思考が支配される。
 敏感な部分をこねくり回され、撫でられ、愛でられる想像をしてしまった。指ではない、指よりももっと太い、冬弥の雄の部分がオレを堕とす想像をしてしまった。
 
「ん、あ、〜〜ッ、イく! イく、あっ、んあ、あ゙〜〜ッ!」
 
 膨張した熱が、破裂した。
 えもいわれぬ解放感に甘ったるい声を上げて、冬弥の手に腰を押しつけ白濁を吐き出す。反射でナカが締まると前立腺をごりごりと抉られ、その異常な感覚に今度こそ、瞳がぐるりと上向いた気がした。
 
 
 
「っ……んぁ……っ、……ぁ~~……っ」
「あ、彰人!」
 
 全身が鉛のように重い。体じゅうの穴から汗が噴き出しているようで気持ち悪い。
 ぶるぶると腰を震わせ深い絶頂の余韻に浸りながら、かろうじて冬弥の体を避けるように倒れこんで目を閉じた。ぴくぴくと痙攣する以外にできることがないくらい、倦怠の色が全身を薄雲のように包む。刺激が強すぎたのか、もうナカの感覚がない。代わりに余韻だけが全身を支配していた。甘い多幸感に力が抜け、ドロドロと溶けていく感覚に身を震わせる。
 
「彰人! 彰人、大丈夫か?」
「……ぅ、……ぁ……?」
 
 なにか、耳元で言っているようだが、寝不足みたいに頭が働かず冬弥の声をうまく処理できない。きちんと聞きたくてゆるりと重いまぶたを開き見上げると、頬を赤く染め苦しそうに眉を寄せる冬弥の姿があった。
 
「とぉ、……や……」
「……どう、した?」
 
 獲物を前にいまにも飛びかかりそうなケモノの、熱を帯びた声が震えていた。
 薄れゆく意識の中、なにか伝えなければと必死に頭を働かせる。きゅむ、とへの字に結ばれた唇がゆっくりと開いて、はぁ、と熱のこもった息を吐いた。それを見ていると、言いたかったことがすっと頭に浮かんで、伝えるべくのろのろと手を伸ばす。
 掴んだ手は汗でびっしょりと濡れ、燃えるように熱かった。それが冬弥のものか自分のものかはちっとも分からなかったが。
 
「つ、ぎは……いっ、しょ……に…………」
 
 酷使した喉からは上擦ったような掠れ声しか出ず、うまく言えたか分からなかった。けれどぼやけた視界でも冬弥の嬉しそうな顔だけははっきりと見えて、しっかり伝わったのだと安堵しながら、オレは今度こそ意識を手放した。
 
 
 

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