甘えベタなライバル

「ねこ……ネコ、猫?きゃっと?」
 
 綺麗に着こなした制服の腰周りについた数本の毛を取って目線の高さに翳すと、冬弥はああ、と納得した様子で頷いて「猫を飼っている」と口にした。初めて耳にした単語を繰りかえすと「言ってなかったか?」と不思議そうな顔が首を傾げる。
 
「聞いたことねぇよ。お前ん家猫とか飼ってたのか?」
「ああ」
「……二年くらい一緒にいんのに初めて知ることもあるんだな」
 
 思っていたよりも拗ねたような声に自分で驚いてしまった。冬弥も同様のことを思ったのだろう、互いに目を丸くしたままじっと見つめ合う。
 ほとんど共にいるのでなんでも話しているようで、実のところ冬弥との会話の大半は音楽の話だ。同じ夢を追いかけるもの同士、話題に偏りが出てくるのは付き合い始めてからも変わらない。違いがあるとすれば昔より好物の話が増えたぐらいか。少し前までは互いの厄介な家族について話をしていたが、その他の話題を口にすることはあまりない。
 取った毛をパラパラと地面に落としながら、にも拘らず「冬弥のことならなんでも知っている」と無意識に感じていたことに面食らった。
 
「言わなくて悪かった」
「いや全然、謝ることじゃねぇよ」
 
 それはほんとにそう。まったく冬弥は悪くないし、なんならオレも怒っているわけではない。
 ただ少しだけ、なんでも知っていると驕っていた事実に恥ずかしくなっただけだった。
 
「……なあ、その猫、見てみたいんだけど」
 
 初めて聞く単語を耳にしたとき、驚いたと同時に冬弥の幸せそうな顔に目がいった。不機嫌にはならないが、家の話題の度に気まずそうにしていることが多かったから、そんな顔は誕生日に母親がクッキーを作ってくれていたと話してくれたとき以来見ていない。
 お前を笑顔にさせるやつがいたんだな、オレ以外にも。
 幸か不幸か、冬弥はオレの気持ちには気がつかなかったみたいだった。それを少しだけ残念に思いながら「いつがいいだろう」とスマホを取り出す冬弥に合わせて、お揃いのカバーをつけたスマホを手に取る。
 どこまでも湧いてくる独占欲に、少しだけ呆れの感情が芽生えたが適当に蓋をして見なかったことにした。
 
 
 
「名前なんていうんだよ」
「ざくろだ」
「……ざくろ、おいで」
 
 冬弥とは違って警戒心満載の黒猫は、オレの声に耳だけをピクリと動かした。じっと探るような目つきに少しだけ苛立ちが混じっているように感じて、挑発するように隣の冬弥に寄り添うと、濡れた瞳に鋭さが増す。たったそれだけで、オレが冬弥にとってどんな存在か分かったのだろう。たぶん黒猫のライバル判定に引っ掛かったなと内心ほくそ笑んだ。
 
「名前……あの赤いフルーツのやつ?」
「いや……」
 
 睨み合っていた黒猫から視線を外し隣の男に移すと、冬弥は陽の差しこむベランダを眩しそうに見つめていた。色の薄い髪と瞳が光に反射してキラキラと煌めく様子に、ついうっとりと見惚れてしまう。惚れたのは歌だがそれだけではないなと、己に面食いの気があったことに苦笑した。
 立ち上がりベランダへと向かう冬弥に倣い腰を上げると、じっとこちらを伺っていた黒猫がオレより先に冬弥の元へと走りぴょんと肩によじ登った。あ、と思うより先に、交錯した視線がバチバチと音を立てる。やっぱりコイツ、オレが飼い主を奪うと思ってやがるな。
 
「冬弥、どうした?」
「……あそこ、桜の木があるだろう。あの桜の木の下にいた黒猫だからざくろだ」
「捻ってるような……そのまんまのような……」
 
 花の咲いていない木を指して、冬弥はどうやら黒猫の名前の由来を教えたかったらしい。ふぅんと気のない相槌を打ちながら横目に隣を伺うと、冬弥は甘ったるい声を隠そうともせず「ざくろ」と名前を呼んで、首元に愛らしく擦り寄る黒猫を優しく撫でていた。その穏やかな顔にどくんと心臓が高鳴る。
 
「やさしー顔してんなぁ……」
「ん?なにか言ったか」
「なんでもねぇよ」
 
 手つきがどこまでも優しい。気持ちよさそうに喉を鳴らす黒猫に思わず、いいな、と心の中で呟いた。
 あんなに素直に甘えることができて。
 
 ぐる……
 小さく聞こえた音が黒猫のものかオレの喉から聞こえたものか、一瞬分からず狼狽えたが、それは紛れもなくオレのものだった。唸るような、飢えたような声。まるであの黒猫のように甘えたいと思っているみたいな。
 気づかなかっただけでもしかしたら、オレはガラにもなく冬弥に甘えたいのか?喉の渇きを自覚して軽く咳ばらいをすると、冬弥はオレの体調が優れないと思ったらしい。気遣うような声に再度「なんでもねぇ」と強がって、頭の中かららしくない欲を追い出した。
 
「そうか……それなら俺の部屋に行こうか。そっちでざくろと遊ぼう」
「いや見たかっただけで遊ぶつもりはないんだが……」
 
 冬弥の中ではすっかり黒猫と遊ぶつもりだったらしい。遊ばないのか、と言いたげな視線にはいはいと返事をすると、横から挑発的な視線が飛んできていることに気がついた。視線をやると、遊んでやるよと言わんばかりの得意げな目とかち合って、内心舌を出しながらふと湧いてきた疑問を口にする。
 
「ざくろってメス?」
「いやオスだ」
 
 オスかよ。というかよく見たら金玉ついてたわ。
 オレのライバルはどうやら同性だったらしい、同種ではないが。
 冬弥の案内に従い後ろを歩いている途中、目の前で揺れるふたつのボールをふよふよと撫でたら脚が思いっきり蹴り上げた。弾かれ行き場を失った手を握りしめる。いってぇな、コイツ!
 
 
 
 遊ぼうと言ったものの、黒猫はオレたちが冬弥の部屋に入ってからずっと家主の膝を独占していた。ねこじゃらしを掲げても興味を示さない黒猫に冬弥はついに諦めたらしくそのまま膝を明け渡している。横に来たらいいと手招かれ、ベッドに並んで腰掛け丸くなった黒猫の頭を撫でた。冬弥の手前、黒猫も引っ掻くつもりはないらしくオレの手を一応受けいれている。
 まあ猫自体は可愛いし、生意気とはいえ冬弥に懐いた猫だから大体のことは許せる。マウントを取るみたいな行動に腹は立つが。
 ありがたくもふもふを堪能させてもらいながらも、オレは黒猫の体を撫でる冬弥の指に意識を向けていた。
 羨ましい。なにも言わずとも膝を許され、冬弥に撫でられ愛でてもらうなんて。オレなんて言いたくてもプライドが邪魔してロクに言えずモヤモヤする日々を送っているというのに。いや別に撫でられたり愛でられたりしたいわけではないのだが。あれか?猫だからなのか?オレも猫になればいいのか?
 ふと湧いたしょうもない嫉妬心に身を焦がし、正気とは思えない考えに至った結果、オレは冬弥に視線を向けて口を開いた。
 
「……にゃぁ」
「……………………え?」
 
 見つめ合ったまま、たっぷり二十秒。もっとあったかもしれない。先程までカチカチと鳴っていた時計の音がやけに遠くに聞こえ、少しずつ消えていく。代わりに心臓の音が激しく鳴り始め、オレの耳へと届いた。
 せめてなにか言ってほしい。じゃないと、いたたまれない。
 
「んにぁ〜〜」
「っ……!」
 
 永遠にも感じた沈黙は黒猫の大きなあくびによって破られた。困惑した顔で固まる冬弥に耐えられず咄嗟に顔を背けて吐いた息は思いの外小さく震えている。
 
「……沈黙が……一番やべぇ…………悪い、さっきのは忘れろ」
「え……あ、いや!彰人、可愛かった!」
「忘れろ!今すぐ!忘れろ!あ゙ーッ!あ゙あ゙ぁーッ」
 
 羞恥に頬が熱くなる。顔を上げられない。大声を上げぶんぶんと犬が水を切るみたいに頭を振って、顔に集まった熱を振りはらう。
 オレは今なにを口走ったのだろう。黒猫の顎を優しく撫でる冬弥の指が恋しくて、羨ましくなって、猫に嫉妬した。オレが?マジか。確かに先程からやけにマウントを取られるなと感じていたが、だからといって、猫に嫉妬?それで猫の鳴き真似?冗談じゃねぇ、見ろ、鳥肌が一気に立ち始めたぞ。
 信じたくない事実はしかし、冬弥の焦った声のせいで真実であることをまざまざと示していた。マジかよ。
 突然奇声を発し悶え始めた客人に、黒猫は耳をピンと立てぴょんと跳び上がると冬弥の背に隠れた。
 
「死にてぇ……」
「死なないでくれ……すまない。まさか彰人がそんな甘え方をするとは思わなくて反応が遅れてしまった」
「いい……ホントもう、大丈夫だ……あと断じて甘えてねぇからな」
「そう、なのか?こんなにも物欲しそうな顔をしているのに?」
「え……っぁ……!」
 
 するりと伸びてきた手に驚いて身を縮こまらせると、温かな手のひらがふわりと頬を撫でた。え、と顔を上げると同時に耳を包みこまれ吐息が漏れる。聴覚を遮られ胸の奥で鳴っていた鼓動が全身を支配した。ドキドキとうるさい。
 
「んっ……ふ、ぁ」
 
 物欲しそうな顔だと言う。自覚はあるが、どんな表情かなんて知りたくもない。ただ、だらしなく溶けていることは指摘されずとも気づいていた。見られたくなくて俯くも、顎にあった手がそれを許さずまた冬弥の前に曝け出す。
 
「甘えたいならそう言ってくれたらいつでも甘やかすのに」
「そんなこと言えるか……ッ!」
「そうか……苦手なんだと思っていた……こういう触れ合い」
 
 顎を撫でる感触に思わず目を細め、無意識に喉を反らした。しなやかな手は喉を滑ると、でっぱりを優しく引っかき甘やかな愛撫を施す。
 本当に、猫みたいに甘やかされていた。
 嬉しくない、嬉しくなんかない。喜んでなんかいない。頭の中ではそう繰りかえし冬弥の手を拒んでいるつもりなのだが、鼻にかかったような甘えた声は抑えられないし、力の抜けた体はもっともっとと強請って冬弥の方へと寄っていく。
 
「……冬弥」
「もっとか、分かった……ふふ、彰人は結構甘えたがりなんだな。知らなかった」
「んなわけねぇだろ……んっ」
 
 また喉仏を撫でる感覚に声を漏らすと「説得力がない」と言った冬弥が優しく微笑んだ。許しを得たと認識した体からゆっくりと力が抜けていく。気持ちいい。顔周りの凝りを解すような温かな手つきに慰撫され、強張った筋肉が緩んでいくのを感じる。強がる心まで解れていく気がした。
 頭を撫でられ、頬を撫でられ、抱きしめた背中を摩られ。そんなことを受けいれてしまえば、嫌だと言うよりも先に体の方が陥落した。
 冬弥の首元に擦り寄って息を吐く。ふと、オレを貫く視線を感じて目を下げると、呆れたような目をした黒猫がじっとこちらを見ていた。第三者の介入に忘れかけていた羞恥心を思い出したが、耐える。耐えて、舌をべっと出した。
 ここは誰にも譲んねえよ。

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